青木 敬 | KOKUGAKUJIN | 学校法人國學院大學 | 法人サイト

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2026年0月0日更新

KOKUGAKUJIN #22

発掘調査に明け暮れた9年間の日々

Q 子供の頃は、どんなお子さんでしたか?

 電車が大好きな少年でした。私は東京都の国立市と日野市で育ち、どちらの家も線路から近いところにありました。身近なところで走る電車が大好きで、当時の夢は電車の運転士になることでした。

 結局、運転士にはなりませんでしたが、今の仕事に結びついていくきっかけが小学校2年生のクリスマスの日にありました。両親が『学習まんが日本の歴史』全巻をプレゼントしてくれたんです。それから歴史への関心が生まれ、小学校3・4年生の担任だった先生が、好奇心をさらに育ててくれました。歴史教育にとても熱心な先生で、ときどき学校近くの史跡や寺社仏閣に皆を連れていっては、そこにまつわるいろいろな話をしてくれました。やがて、「もっと知りたい」と思うようになった私は、休日になれば日野市内の寺や神社を訪ね、住職や神主の方に縁起などを聞いてまわるようになっていました。

 小学校4年生の3学期だったと思うのですが、そんな寺社仏閣巡りをしている私を見ていた父から、「歴史を本気で学びたい気持ちはあるのか」と問われたことがあります。「本気で学びたい」と答えたところ、「それならば中学から自分の将来をよく考えたほうがいい」と助言をもらいました。そうして、本気で歴史を学ぶなら國學院大學がいいだろうと、付属校の國學院大學久我山中学高等学校への進学を決めました。

 中学1年生の時には、浅野光洋先生との出会いがありました。このKOKUGAKUJINにも登場されている先生です。担任でもあった先生は授業の合間に考古学の発掘調査の話をよくしてくださりました。ケガで部活動(バスケットボール)を続けることが難しくなった時に、「将来考古学を学びたいなら、遺跡調査で必要な写真撮影の技術を身につけておくといい」とアドバイスをいただき、写真部へ転部。高校を卒業するころには、現像から焼き付けまでを自分でできるようになっていました。写真による記録は遺跡調査では大切な作業の一つです。「現像から焼き付けまでできる新入生は大学にまずいないから重宝される」という先生の言葉に乗せられたところも少しありましたね(笑)。

 中学・高校の6年間は、授業や部活動以外に考古学や歴史の本を読んだり寺社仏閣へ出かけたりの毎日で、卒業後の進路は、迷うことなく國學院大學文学部史学科を選びました。

Q 大学在学時は、どんな学生生活を送りましたか?

 大学と大学院時代は、とにかく発掘調査に熱中しました。発掘調査現場が教室だったと言っても過言ではありません(笑)。

 初めての発掘調査は、大学1年生の夏休みのこと。後に研究者としての私を形成してくださることになる恩師、𠮷田惠二先生に誘われて、多摩市にある古墳の発掘調査に参加しました。ここで役立ったのが久我山での写真部の経験です。当時はまだ発掘のセオリーも十分に勉強していませんでしたが、写真のスキルを買われ、調査記録の撮影一式を任せてもらえました。現地で古人の足跡に触れることができる発掘調査は本当に楽しくて、そこから古墳研究に没頭していくようになります。

 学部と大学院で過ごした9年間で、関東地方はもちろん、近畿地方や中部地方、伊豆諸島の三宅島など、さまざまな遺跡の発掘を行いました。長期間の発掘調査には他大学の学生もたくさん参加し、大学を超えて仲良くなります。当時の仲間とのつながりは今でも続いていて、講演や本の執筆などの依頼を受けることもめずらしくありません。

 本格的に研究者になろうと考えたのは、大学1年生の時から参加していた古墳研究会での経験が大きいです。大学院生が中心の研究会だったので、最初は高いレベルになかなかついていけず、先輩方に心配されるような状態でした。それでも専門用語に触れ続けていると徐々に耳が慣れていって、内容を理解できるようになり、2年生に進級した時にはじめて研究発表に挑戦しました。先輩たちのサポートを受けながらなんとか完成まで漕ぎ着けた発表が、周囲から思わぬ高評価を受け、褒められてその気になったといいますか(笑)。「さらに真剣に考古学を突き詰めたい」「研究者の道を歩んでみたい」と本気になっていきました。

 そして大学院では、𠮷田先生のアドバイスもあって、他の研究者がほとんど手をつけてこなかった墳丘の研究に取り組みました。

Q 國學院大學で考古学を学んで良かったと思うことを教えてください。

 恩師、先輩、同級生たちとの出会いです。考古学を学ぶ学生たちは同じ釜の飯を食べながら泊まりがけで発掘調査を行い、その後何ヶ月もかけて発掘調査報告書を一緒に作り上げていきます。学生と教員も距離感がとても近いので、強い絆を育むことができます。考古学の研究を通じて生まれた、院友(卒業生)や恩師とのつながりは、私の貴重な財産です。

Q 卒業後のお仕事を教えてください。

 大学院修了後も多くの発掘調査に携わりました。「青木は学内で研究をするより学外の研究者たちにもまれたほうがプラスになる」という𠮷田先生の方針もあって、武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市)の発掘調査、専修大学での非常勤講師、鎌倉市の学芸員、奈良文化財研究所の研究員など、学外のさまざまな場で経験を積みました。なかでも奈良文化財研究所での9年間は、特に印象深いものがあります。高松塚古墳、東大寺法華堂、薬師寺東塔と3件の国宝を調査する機会に恵まれ、東大寺法華堂の発掘調査では、謎だった本尊・不空羂索観音立像の設置時期を解き明かす糸口を見つけ、さらに薬師寺東塔では薬師寺移建・非移建論争に新たな見解を加えることができました。

 その後は母校に戻り、教員として研究をしながら学生たちに考古学を教えています。次代に学統という襷を繋ぐ仕事に携わることができて、本当に光栄です。

Q これからチャレンジしてみたいことはありますか?

 「人を育てたい」という気持ちが強いです。実は國學院大學で教鞭を取るまでは「研究者として生きたい。自分は人に教える柄ではない」と思っていました。ところが、若い学生と関わっているうちに「彼らの成長を手助けしたい」という気持ちが強くなっていき、その思いを大事にしようと考えるようになりました。今では自分の研究だけでなく、後進の育成にも力を注いでいます。「何かひとつでも得るものがあった」と思われる授業をしたいのはもちろん、社会に有為な人材を送り出していきたいという思いも、年々強くなっています。

Q 青木先生が個人として大切にしている信条は?

 後悔することのないよう、一日一日を大事にしようと心がけています。命が絶えるその日に、生きていてよかったと思えるような生き方をしたいですね。

Q 青木先生が考える國學院らしさ(KOKUGAKUJIN)とは?

 「人とのつながりを大事にする気質」ということが、一つ言えるのではないでしょうか。発掘の現場でも、先輩と後輩、学生と教員といった立場を超えて、同じ場にいる者が自然と絆を深めていける。國學院という旗の下に集うことで生まれる引力のようなものを感じます。またそこには、同門の思いを一つにつなぐ吸引力がある。それこそが「國學院らしさ」ではないかと思います。

青木 敬

國學院大學 文学部史学科 平成9年度卒業
國學院大學 大学院文学研究科博士後期課程日本史学専攻 平成14年度修了
國學院大學文学部 教授

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